*この記事にはネタバレを含んでいます。
*独断と偏見のただの感想です。ここでは特にキリコがなぜ主人公眞人と一緒に巻き込まれたのかという事を私的に考えたものです。
本日映画「君たちはどう生きるか」の2回目を見てきた。2回目ともなり、主人公の眞人以外の周りの人物に注意を払いながら見ることが出来た。私が注目したのはキリコだ。キリコは家のお手伝いをするおばあちゃん達の一人として登場した。ちなみにナツコが新しいお母さんで、母のヒミの妹に当たる。おばあちゃんのキリコは7人のお手伝いばあちゃんの中でも背筋が伸びており、また必要に煙草に執着している描かれ方をしていた。昨今の煙草を排斥している世の中でも描くのは流石宮崎駿監督だ。そしてキリコは主人公眞人と共にアオサギに誘われて空想の世界に入っていく。
そのおばあさんキリコについていくつか謎がある。
- 主人公眞人と同じ位置にある傷の意味するところは
- どうしてわざわざ主人公と共に巻き込まれる様に描かれたのか
まず1つ目の謎について考察したことをまとめる。結論、キリコ及び多くの人間には悪意が潜んでいるからだと考える。まず私は初登場時でのおばあちゃんキリコを人としての汚い部分が見られる人物として認識している。それは、たばこへの依存ぶりや眞人と弓の取引を持ち掛ける狡賢さ等から描かれていると感じたからだ。また塔に誘われている時に眞人に新しい母ナツコの事をいなくなってもいいと思ってるんでしょという言葉をかける位、ある意味洞察力もあり、その上はっきりと物を言う性格であることが分かる。宮崎駿がジブリで描く、気の強くて生きる力のある女性像として表現なのかもしれないが私自身はどちらかというとアオサギと同様に人間らしい人物として書かれていると思った。アオサギとのちょっとした戦闘シーンでも勝利にしきりに喜ぶなど、飛躍して考えるとやや悪意に染まった人物ではないかと思う。それは空想世界に若かりし頃のキリコがおり、眞人と同じ傷が付いていたことからも読み取れる。悪意の象徴として描かれていた傷がキリコにもあるという事は当時のキリコにもいや、誰にでも悪意は潜んでいるという比喩なのではないか。ところで私は塔の中での出来事は異なる時代の人が迷い込んではいるが、同時に起きている出来事だと考えている。つまりは眞人の母ヒミにとっては見た目通りの年齢の頃、塔に迷い込んでしばらくした後に当時の母の世話役のキリコが母を探しに迷い込み、また1年近くたった後で未来の子供である眞人が迷い込んだのではないかと思っている。
そこで2つ目のどうしておばあちゃんになったキリコも眞人と巻き込まれる形で空想世界に入ったのかという考察に繋がる。それは主人公眞人の様な若者が変われるだけでなくて長く生きてきた年寄りでも変われるんだどいう希望のようなものを残したのではないかと思う。それは眞人のポケットの中で、眞人の冒険を見、そしてかつて迷い込んだキリコ自身を見て例えいずれ記憶が消えていき覚えていられないとしても心に刻まれた何かに突き動かされて今のキリコ自身に変化をもたらすものだと考えたからだ。若者がこれからの時代を作り変えていくと言う様なストーリーとは別に大人サイドのストーリーとしてキリコの物語として色々つらい経験をし、凝り固まった大人でも変わっていけるかもという可能性を残した物語としても読み取れるのではないかと思った。
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