映画「ルックバック」に登場する”扉”を考察してみました!

藤本タツキ先生による「ルックバック」には象徴的に扉が描かれ、役割を果たしています。

注目するのは2つの場面。京本の部屋の扉と、藤野の妄想の中で京本が描いていたチェンソーマンの扉です。

1つ目の京本の部屋の扉は藤野が京本の家を初めて訪れたときの場面と葬式後の妄想世界とのリンクで描かれます。この扉が開かれるか閉ざしたままかで明確に運命が変わります。京本が出てこなければ京本は死ななかったかもしれないし、藤野は漫画家になっていなかったでしょう。それが隙間から入った一枚の4コマ漫画が懸け橋となって開かれた。この扉は運命のターニングポイントとして描かれたのだと思います。葬儀後、藤野が京本の部屋の扉を開いて、漫画を描く理由というのがクラスに注目されるというのから「京本の笑顔を見るために」描いていたことに振り返ることで気づき、そして実際に後ろ振りむき見ると藤野が書いたサインの入った羽織が飾られていることに気づく。そして再び漫画を描くことを決意し、休載していたシャークキックを描き始める。この心理描写の流れは筆舌しがたい映画ならではの感動が味わえると思います。

私としてはたとえ京本が死んでしまうとしても勇気を出せて引きこもりを脱却し、外を出たという事と藤野の摘まされかけた才能の開花による人生の輝きのために開かれるべき扉だったのではないかと思います。

2つ目のチェンソーマンの扉を京本が描いていたのは、もちろん藤野と京本が一緒に遊ぶシーンで藤本タツキ先生の別の作品である「さよなら絵梨」があるように遊び心が大半の理由だとは思うが、藤野の描いていたシャークキック(チェンソーマン)が関係しているだろうと考えます。シャークキックは、チェンソーマンの柄と色合いで内容もコマもレゼ編辺りのようで似せている面がありました。チェンソーマンの扉では開けると大切な誰かの死が関係していました。地獄の悪魔の登場場面や悪魔が現世へ行くためにはそこを通り番犬としてのポチタのチェンソーの音を聞きます。デンジに特に関わりにある事としては扉の先にパワーやアキがいる場面です。そして扉が開かれた場合どちらも死んでいます。

この扉が開かれると開いた先の人物が死ぬという事と、現世と地獄(別世界)の扉というのが、京本の生きていた世界線で描いていた扉だと思いました。京本の扉を開いてしまったから京本は死んでしまったと言えなくもないし、別世界とのリンクも扉によって行われています。だから京本の生きている世界線で閉じている扉が描かれたのだと考察しました。

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